トップへ
元八王子村の歴史(詳細)
元八王子の旧跡
元八王子の歴史概説
〜慈根寺(神宮寺村)から元八王子村〜
<伝説>
・平安中期・延喜13年(913)京の都から妙行と云う学僧が華厳ケ谷戸に庵を結ぶ。
・妙行、深沢山(城山)山頂で修業中八人の童子を連れた白髪の老人が現れる。
・妙行、老人に名を問うと、「余は牛頭天王、伴っているのは余の八人の王子」と答え
姿を消す。
・妙行、延喜16年(916)深沢山を「天王峰」と改め、牛頭天王と八人の王子を祀る
祭祀を建て、周囲八つの峰を八王峰とし牛頭天王と八王子を祀る「八王子信仰」を
始める。 (一寺を建立)
・妙行、天慶2年(939)都の朱雀から「華厳菩薩」の称号が贈られるともに寺名を
「牛頭山神護寺」と改める。
・天慶2年(939)頃から約239年間、牛頭山神護寺と郷土の記録(歴史)が見当ら
ない。
・治承2年(1178)権大僧都と云う僧官の位を持つ「元杲上人」が現在の元八王子
3丁目宮の前に「慈根寺」と云う寺を中興開山する。
・建久2年(1191)領主であった梶原景時が鎌倉「鶴岡八幡宮」の古神体を慈根寺
境内脇の丘に勧請し慈根寺を八幡宮の別当寺・神宮寺とする。
・郷の地名を「神護寺・しんごじ」村「神宮寺・じぐうじ」村「慈根寺・じごじ」村と
呼び始める。
・慈根寺、一時廃絶するが天文年間(1532〜54)大石領地を支配した小田原北条が
庇護し「西明寺」と云う寺が慈根寺を引き継ぎ「慈根山・西明寺」として再興。
(明治初年廃寺)。
・元亀年間(1570〜73)から天正年間(1573〜91)始めごろ北条氏照、深沢山
(天王峰)に城を築き八王子権現を城の守り神とする、慈根寺の里に八日宿・横山宿・
八幡宿を構成し城下を整備する。
・北条家の本拠地小田原城から書状を送る際、城のある八王子権現を指して
「八王子方面」「八王子筋」などと表現している事から氏照が滝山城下から慈根寺村に
移転した時点で「神護寺の八王子」と、城の「八王子城」で表現し始める。
・天正18年(1590)6月、豊臣家臣の前田・上杉軍の攻撃により八王子城陥落。
・天正18年7月、甲斐(山梨県)の国境警備にあたっていた小人頭9人が配下の小人たち
と廃墟の八王子城下慈根寺の村里に駐屯(移住)。
・前田利家、慈根寺の八日宿・横山宿・八幡宿を現在の八王子市街に移転建造し
「横山八王子宿」とし、慈根寺の村は「元八王子村」と呼ばれる。
・文禄元年(1592)大久保長安、駿府(静岡市)から代官を引率し横山八王子宿の
整備と共に元八王子(慈根寺)から小人頭を千人町(当初・五百人町)に移住、
千人同心を構成。 (元八王子には百姓を兼業する同心が定住)
・明治22年(1889)4月の市制町村制施行で元八王子村・横川村・上一分方村・
下一分方村・二分方村・大楽寺村・川村の七ヶ村合併。
(人口3421人・戸数637戸の新元八王子村の誕生)
・明治26年(1893)4月神奈川県付属の三多摩郡が東京府に編入。
(当時元八王子村は神奈川県南多摩郡)
・昭和30年(1955)4月八王子市に編入。
<八王子城跡の整備・復元推移>
・平成 2年(1990)八王子城跡の御主殿辺りの整備を進める。
・平成18年(2006)日本100名城(22番目)に選定される。
・平成24年(2012)ガイダンス施設開館
★ 元八王子の歴史 ★